犬はダックスフンドが最強

犬も猫も、カワウソもフェレットも好きだが、どちらかというと犬派のブログ

#7 自分を許すために、小さな悪を許す in 駅のホーム

 
健全な心でいたいなら、駅には近寄らないほうが良い
 
 
 

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みなさんは電車をよく利用されますか?
私は大学へ向かうときや遊びに行くときなどでよく電車を利用します。その際、駅のホームで次の電車を待っているとき、ドアの左右両方から人が入れるように自然と2列ぐらいになって待つことがよくあります。その状態で電車が来た時に、自分の並んでいない列の人が降りる人よりも先に乗車するという場面にそこそこの頻度で遭遇し、毎回少し腹を立てます。
 
そして、それと同時に自分自身に毎回少し凹む。
 

座りたいという感情

電車の乗り降りの際、上記のようなマナーから逸脱した行為を行う人たちは、他人を出し抜いてでも座りたいがために急いで乗り込んでいくのだと思います。私はこういう人を見ると腹が立つのですが、どうして腹が立ったのかを冷静に考えてみると、マナー違反が許せない感情と同時に自分が座れなくなるかもしれない、自分の座る邪魔をされるかもしれないという感情があったことに気づきました。
 
この「自分の席が取られるかも」という感情は、マナー違反者が電車に駆け込んでいく原動力となっている感情であり、それと同じものを自分も持っていることがとても気持ち悪く、自分が情けなくなります。
 

自分自身の嫌なところ

上記に挙げたような心の葛藤は他人からしてみれば”気にしなければいいのに”と感じるかもしれませんが、私は先に乗り込む人に対して「いいよいいよ別に、電車に乗れればオッケ~」みたいな心の余裕を持てない自分の器の狭さが気になります。
何度もダイエットに挑戦して途中で挫折し、自己嫌悪に陥る人の感覚に近いかもしれません。
 
しかし、このような自己嫌悪で自分の精神力を消費することは非常に勿体ないので、
最近は他人のマナー違反も自分の感情も認識したうえで許す努力をしています。
 

きっとマナー違反者も自分と同じ

前提としてマナー違反は注意されるべき行為です。ですが、些細なマナー違反にまで目を吊り上げていたらストレスがどんどん溜まります。それにマナー違反者を見かけたときはだいたいその人物の人間性まで疑ってしまいますが、今回たまたまマナー違反をしてしまっただけで、普段は真面目に仕事をこなし、周りからも頼られるような人かもしれません。
 
そこまで自分の中で落とし込むと自分と同じ普通の人だなと思いました。普通に生きているけど、ときどき嫌な部分が表に出てくる。私も普通に生きていますが、他の人がいても自分の席を確保したいという感情や、自分では認識していない他人に迷惑をかけている言動がきっとあります。
 
そんな自分の嫌な部分を認識し、改善していきつつも許す代わりに、自分と同じ普通の人の些細なマナー違反も許そうと思いました。
 
なんだか禅問答のような締めになりましたが、
 
結論、
 
仏教最強。
 
 
おわり☆