犬はダックスフンドが最強

犬も猫も、カワウソもフェレットも好きだが、どちらかというと犬派のブログ

#2 -卒論-学生の意欲を妨げる敵

 

 

 

ブログ久々過ぎんか、ワシ…。

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ブログは苦手であると公言しつつも、さすがにこれほど放置する予定ではありませんでした。

 

 

これほどブログを放置することになったのには理由があります。

 

 

卒論です。

 

 

卒業論文(そつぎょうろんぶん)は、大学(短期大学を含む)および高等専門学校に所属する主に最終学年の学生が、その最終学年の一年間を通して行う「卒業研究の成果として提出する論文 」のことである(期間や、方法が異なる場合もある)。一部の高等学校中学校にも科しているところがある。略称は、卒論(そつろん)。

(Wikipediaから引用)

 

 

つい最近まで学業、アルバイト、遊びの合間を縫って、インタビュー調査や文献を読み込んだり、卒論の執筆を行っていました。

 

「遊びの時間を割けよ」という話ですが、

人間はそこまで合理的にはできていないらしい…。

 

 

そして、卒業論文を書き終えた今、

 

卒業論文は本当に必要だったのか、私は疑念を抱いている。

 

 

大学を卒業した後、多くの人が社会人になり、一部の人は大学院に進むと思います。

大学院に進む人にとっての卒論は、大学院に進むためのチェック材料にもなる上に今後の学習の糧になるので必要と言えます。

 

 

しかし、社会人になる予定の学生に卒業論文は必要であるとはあまり感じません。

 

 

私がこのように感じるのは、今と昔の学生の違いから生まれるものなのではないかと思います。

 

 

昔は専門的な分野をより極めたい人が大学に進学していましたが、

 

私は入学した学部の内容に興味はあるものの、どちらかというと就職のために大学に進学しました。

 

そのため、卒業論文のような一テーマに何か月もかけて研究することに違和感が生じたのだと思います。

 

 

要するに、私が場違いな場所に入学したのが問題であり、場違いな人間がそこのルールに対して文句を言っているだけと言えます。

 

 

しかし今のご時世、大学に進学しなければ一般的な就職の流れに乗ることもできません。

 

 

場違いな人間が大学にいることが間違っていることは分かるのですが、もはや大学には場違いな人間も大多数進学しているし、そうしなければならない事情があります。

 

 それでは結局どうすればいいのか、私は卒業制作が必ず論文という現状を変えればいいのではないかと思います。

 

聞いたところによると、経済学部には卒論提出が必須ではない場合が多いらしいが…

どういうことやねん。

 

 

現在の大学には社会人予備校のような側面が強いので、卒論の代わりに何かスキルを身に着けたり、特定の資格の所得が必須という選択肢があれば、就職志望の学生のニーズも拾えると思います。

 

 

世の中の様々なことが変化しているのに、大学はいつまでたっても卒論卒論卒論…

 

一学生の卒論に対するストレスから生まれた我がままな戯れ言に過ぎませんが、

大学も現代のニーズに合うような形に変わっていくことが必要であると卒論を書いていて強く感じました。

 

 

 

結論:経済学部が羨ましい。